初詣 |正月は妙の一字のまつり by Takochan
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神さまと仏さま

 すると神さまと仏さまの関係は、一体どうなるのでしょう?実をいうと仏教では、有限の生命を持つ人格神を最高の存在とはとらえず、人間のすぐ上の位、仏さまから比べるとかなり下の方に位置づけます。これは神々も「三界六道(さんがいろくどう)」という迷いの世界の中にいて、様々な欲望に悩まされている存在だからです。

image たとえばお釈迦さまが、インドのブッダガヤという場所で悟りを開かれた時には、宇宙創造の神である梵天(ぼんでん)や帝釈天(たいしゃくてん)などの神々が集まってきて、お釈迦さまに悟りの内容を説いて下さるようお願いされました。また法華経が説かれる際にも大勢の神々が聴聞(ちょうもん)に来られ、法華経の行者を守護することをお釈迦さまに誓われました。

 唯一絶対の神をあがめる人々からすると、これには「単に法華経の勝手な言い分にすぎない」と反論されるかもしれません。しかし法華経が神も学ぶべき教えであるといえるのには、十分な説得力があります。経典に説かれるお釈迦さまの「悟りの奥深さ」も、生きとし生けるものすべてが、等しくご自身と異なることのない仏に成って欲しいという「慈悲の広大さ」も、聖書や神話などにはまったく見ることができません。神とはあくまで支配者であり、たとえその慈悲が私たちに平等に与えられているとしても、私たちは決して神と同じ最高の存在にはなれないと聖書には説かれているのです。

神々の領域

 西洋にしろインドにしろ、神さまが宇宙を創造されるには大きく分けて二つの方法があります。一つは、もともと何もない無の状態に、色んな創造物を別々に配置していく方法。もう一つは、何もかもが混沌(こんとん)としている状態を「光と闇」「天と地」「水と火」などに分ける方法です。いずれにしても、他の物事と「区別する」ことから始まっていますね。するとどうしても、神に従う者と従わない者を区別することに発展してしまいがちです。これではどのような者でも平等に救うという、仏さまの慈悲には遠く及びません。

image ならば日本の神さまはどうでしょう。昔はこの神を国の中心にしてすべてを押し進めようとしたため、悲劇を招いた苦い経験があります。そうなるのも、やはり神を崇(あが)める人々の頭の中に、従う者と従わない者を区別するという考え方が流れていたからにほかなりません。

 それにしても、色々な国の神さまがそれぞれ別の宇宙を創造したのなら、宗教の違う国を行き来することはできないはずですね。もちろん実際にはそのようなことはなく、現にある地球や宇宙は一つです。そこでお互いに「相手の言い分が間違っている」と主張し合うと、またまた悲劇の種をまき散らすことになってしまいます。仮にこの宇宙を創造したのが神さまだとすると、どこでどんな名前で呼ばれていようとも、それらはすべて同じ神さまだと結論せざるを得ません。

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