お釈迦さまのご命日
年老いたお釈迦さまは、クシナガラという地において最後のご説法をされ、皆に遺戒(いかい)を示されました。そして大勢の弟子たちが見守る中、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向けて右脇を下にし、両足を重ねて静かに入滅(にゅうめつ)されたのです。その時、沙羅の木は時ならぬ花を咲かせたと伝えられています。
お釈迦さまがお姿を隠されること、つまり私たちの目から見て「お亡くなりになる」ことを「涅槃(ねはん)に入られた」と表現します。そしてご命日となる二月十五日、お釈迦さまの大きな慈悲に感謝し、私たちも仏道修行に励む決意を固めるための行事が「涅槃会(ねはんえ)」です。
如来の全身
「法華経のあるところには塔を立てて供養しなさい。ただし、必ずしも舎利(しゃり=お釈迦さまの遺骨)を収める必要はありません。なぜなら法華経が『如来の全身』だからです」
こうした意味の教えが、法華経の中には説かれています。たとえば紙に書かれた文字が如来、すなわちお釈迦さまの身体なのだといわれても、私たちにはなかなかイメージすることができません。ましてや法華経には、お釈迦さまご自身のお顔やお姿についての記述がほとんど無いに等しく、他のお経に登場する数々の仏さまの様相から「お釈迦さまもおおよそこうした姿だろう」とイメージするしかありません。
では、法華経を「お釈迦さまの全身である」とイメージするには、どう考えればよいのでしょう。
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