お正月の風景
日本ではお正月になると、有名どころの神社仏閣が初詣の人たちで大にぎわいになります。ただし参拝者の数は、神社の方が寺院よりも圧倒的に多いのが現状でしょう。面白いことに日頃「私の家は○○宗です」と口にする人も、お正月だけはそれを引っ込め、まるでどこかの神社の氏子になってしまったようです。中には神社のハシゴをする人もいるようですね。
このような姿を外国人の方が見た場合、「日本人は宗教に関して寛容だ」といわれることがあるそうです。どんな相手の内面にも仏性があり、「元々は善人であるから評価すべき点を見つけよう」といった、仏教の考え方が身に染み付いているのでしょうか?もしそうだとすれば、本当にすばらしいことです。
しかし初詣に代表される日本人の行動が、仏教に対する無理解によるものなら、少し考え直さなければなりません。
国生みの神たち
世界中のどんな民族にも、この世界や宇宙がどうやって創られたのかを説く「創世神話」が残っています。日本では『古事記』にイザナギとイザナミという神々による国生みが記され、キリスト教とイスラム教では、それぞれヤハウェ(エホバ)やアッラーといった、ただ一人の神がこの世界を創ったとされています。
しかし、そうなると一つ大きな疑問も生まれます。仮に世界や宇宙が神の創造物だとしても、その神は一体どこでどうやって生まれたのでしょう。神を生んだ神がいて、またそれを生んだ神がいてと考えても答えは出て来ません。またどの神さまも、人間と同じように理性や感情をそなえた「人格神」として伝えられており、仏教から見れば無限の生命を持っているとはいえません。ですからどの神話や教義も、つじつまを合わせようとずいぶん苦労して創られているようです。

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