lotus column 日常の修行 by Shougyo
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 七十代半ばの主婦・妙子さんはある日、洗濯物取り込み、たたむ前に別の用事に手を取られた。それを見つけた娘の法子さんは、ぶっきらぼうに「お母ちゃん、取り込んだらすぐたたまんとシワになるで〜」と言った。妙子さんは自然に「ほんまやな〜」と答えた。

 別の日にまた洗濯物を取り込んだ後、そのままにしていたら、たまたま来ていた次男の嫁の華美さんが「お母さん、洗濯物すぐにたたんだ方がシワになりませんよ」と遠慮がちに言った。妙子さんは「ありがとね〜」と答えたものの、本心は「それくらい分かっているわよ」とムッとしている自分を見つけた。

 気兼ね無しに言った娘と、控え目に言ったお嫁さん。なのになぜ?

 誰の言葉であっても、同じ意味の言葉なら同じに聞こえることを「空=くう」という。同じに聞こえないことを「執着」という。そして「執着」から「空」へ渡ることを「修行」という。仏教とは、迷いから悟りへの架け橋なのだ。

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