lotus column 法華経読みの法華経知らず by Takochan
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 古来より、日蓮聖人の書き遺された論文やお手紙を総称して「御妙判」あるいは「御遺文」「御書」といっている。中でも「御妙判」と名付けられたことについては、まさに仏の意を得たものと思われる。

 『妙法蓮華経如来寿量品第十六』で、お釈迦さまは自ら永遠の寿命を説かれ、未来永劫の救済を約束された。そして、ことに末法の時、煩悩にまみれ、教えを横目に我見を信じ、また邪教を信仰する私たちの病苦を、お題目という大良薬をもって救うべく、自らの愛弟子を遣わされた。その人を経文では本化上行菩薩と称し、実際には鎌倉時代に「日蓮」という名でご出現されたのである。

 出るべき時代、出るべき所、なすべき使命。それらによってもたらされる種々の迫害等の詳細な経文の予言が、日蓮聖人によって現実のものとなった。法華経が真実の教えであること、そしてお釈迦さまが今も在らせられることが証明されたのだ。

 久遠のお釈迦さまは、末法救済に当たり全権を本化の菩薩に委譲された。その経文を見る時、本化上行菩薩の再誕・日蓮聖人の信仰を通して、私たちの父たるお釈迦さまの大慈悲の御心を知ることが信心の要であると気付かせて頂ける。また、それが真に仏を拝することと言えるだろう。

 このような信仰の順序を踏む時、「御妙判」は私たちにとってかけがえのないものとなる。それは、日蓮聖人の生涯を通じて、妙法蓮華経を判定・解釈した躍動の実語であり、その一言一句は法華経を理解するための唯一の法である。まさに現代の闇に光明を放つ、活きた法華経そのものと言えるだろう。それをなおざりにするなら、日蓮聖人は「法華経読みの法華経知らず」とおっしゃるに違いない。

 あなたが、そしてすべての人々が、真の信仰に目覚めることを願ってやみません。

「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑んや」(諸法実相抄)

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