インドの宇宙観によると、世界の中心には須弥山(しゅみせん)がそびえ、その頂上には帝釈天(たいしゃくてん)が住んでいるという。
柴又の帝釈さんの場合だと、すっかり庶民的なイメージが定着しているが、元は暴飲暴食を好む乱暴者で、風神たちを従える武勇神だった。
洋の東西を問わず、神話の世界は愛欲と嫉妬、憎悪と争いに満ちている。
そこでインドの神々は、自らの心の平穏と人間の救済を願い、法華経説法の会座に連なった。そして、法華経に帰依し広める者を守護すると、お釈迦さまの前で誓いを立てられる。
つまりは、浅はかな「取り引き」のための祈りなど介さずとも、神仏は素直に信仰を持つ者を守って下さるもの。だからこそ尊く、恩ある存在なのだ。
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