lotus column 示された道を歩く by Kanshun
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 この様な話がある。ある日、修行僧がお釈迦さまに「世尊、どの様な人を導きにくい人と呼ぶのでしょうか?」と尋ねた。するとお釈迦さまは、こう答えられた。「教えた道順の通りに歩まない人が目的地に到着できないように、伝えた教えの通りに修行しない人を導きにくい人と呼ぶ」と。

 つまりそれは、教えられた道順に納得がいかない時、自分の判断を第一にするような人ではないだろうか。結果的にお釈迦さまを信じられなかった、もしくは信じきれなかったということにもなる。

 仏道では、まずお釈迦さまを信じるというところから入る。「悟り」という我々の理解の及ばないものに対して「理解できたから信じて修行する」では、いつまでも前に進めない。たとえ自身の経験からは納得のできない修行方法であっても、実際にこの世で悟りを体現されたお釈迦さまを信じ、教えを受け入れねばならない。経文にある通り「説のごとく修行する」ことが肝心なのだ。

 お釈迦さまは「未知」なる道を示された。未知なるが故に、何人もの仏弟子が自分の判断を先とし、それぞれが思う道を歩んでいる。教えた道順の通りに歩まない過ちを、仏弟子が実践しているのである。

「信をもって入ることを得る」(法華経譬喩品)

 教えを納得できない時に生じた疑いを、お釈迦さまに向けるのではなく自分に向けた時、初めて仏道という未知の上を歩けるのだろう。

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