lotus column 二而不二-互具 by Takochan
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 人にとって、自己と向き合うことほど難しいものはない。とりわけ、ここでいうのは自己の欠点・弱点についてである。

 ある事柄で他者を異常なまでに熱心に批判している時ほど、それが現われているようだ。逆にいえば、その行為は自己の内面を他人に投影し、弱点を覆い隠す自己防御の手段なのだろう。つまり、自己の欠点にフタをすることに熱心(ムキ)になっている心のはたらきといえる。

 これが顕著になる時、批判は個人の枠を超えて「みんなもそう思っている」という言葉を足し、普遍的にさえしようとする。また時には聖者や賢者、あるいは権威者の言葉を用いて自己を仮借してしまう。このように、まことに厄介なのが自分というものだ。

 だからこそ、本気で自己を変革しようとする気があるなら、自己の欠点をさらけだすだけの覚悟が必要となる。弱点に直面することを避けて、蘇生・変革などは求められるはずもない。

 しかしそれは、自身の今日までの生き方を否定して過去と決別する、死に価するほどの困難となる場合がある。生まれ変わるためには、いったん精神的な死を迎えるだけの勇気が必要であり、死ねばこそ生まれ変わるのである。

 過去との相剋(そうこく)の中で新たな生が芽吹いた時、その死は生のための「より良き補完」となっているはずだ。そして、自己という相手を知ろうとする時、はじめて他人という相手とも絶妙なバランスで折り合いをつけられるのではないだろうか。

 自己との対決をおざなりにして、他人と対決することは虚しいことだ。それ以前に、自己と向き合うことを忘れた批判は、決して相手の心に届かないだろう。

「万象は一微塵(いちみじん)に宿り、永遠は一刹那(いっせつな)に宿る」

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