lotus column 心の因(もと) by Ryuko
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「古池や蛙(かわず)とび込む水の音」

 有名な松尾芭蕉の歌である。古池とは、私たちがずっと受け継いで現在ある「久遠の生命」を表す。その中に蛙がポンと飛び込んで生まれた水の音。これは私たちが「オギャー」と産まれてくること。そして、波紋とともに人生をあがき回って岸にたどり着くというわけだ。

 さて、先日タクシーに乗ると、こんな話をドライバーさんから聞いた。

「お客さん、動物園で産まれてすぐにお母さんを亡くしたライオンが、犬にお乳をもらってちゃんと成長したそうですよ。ライオンの子はその犬を本当の親だと思っていて、悪いことをした時には犬が首にかみついて怒るんだけど、ライオンの子はじっとしてるんです」

 獣であってもこの通り。一方、昨今は親と子の絆(きずな)が途絶えたように思える事件を耳にする。恩を忘れ、感謝を忘れた結果だろう。

 法華経の『欲令衆』というお経の中に、「三界は安きこと無し、なお火宅の如し」とある。私たちは大火に焼かれる家にいるように、年がら年中恐れと苦悩を抱いて生きていると説かれているのだ。

 恩とは心が因(もと)になるということ。この世に生まれて命を育まれ、無限の可能性を与えられた恩に自ら気づかなければ、世界は浄土という本来の姿を現すことなく、地獄であがくような人生を送ることになる。

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