lotus column 自分の立ち位置を不問にする観念 by Erou
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 中身のない抽象的な観念はなんら創造性はなく、反対にまもるはずのものを破壊する。「個性を大切に」という内容のない観念が個性を破壊してしまったように。

 個性というものは真摯(しんし)な取り組みの中にしか出てこない。そこには普遍性がある。

 例えば音楽。自分の持っているものと音楽が結びつくところまでいくにのに、どれだけ音楽と向き合わないといけないか。そこまではなかなかいかない。格闘するなかで結果として個性がにじみ出てくる。音楽と向き合って音楽が自分自身と結びつき、そこに自分のもっているものがにじみ出るほど、つまり個性が浮き上がってくるほど、多くの人が何かを感じてくれる普遍性が出てくる。

 モーツァルトにしても美空ひばりにしても、ちょっとした部分を聞いただけでも、その人の曲・歌声だとわかる個性が刻まれている。そして、そうしたものこそ時間や場所をこえた普遍性をもっている。

 学校の授業にしても、生徒と向き合いどうすればいいか必死に色々試行錯誤している人の授業は、おのずと個性的になってくる。普通の人間関係でも、様々な人と格闘する中で個性が形成されてくるものだ。向き合い試行錯誤し格闘し伝えようともがくことで個性が形成される。だからこそ個性には普遍性がある。

 ところが現実は、「個性を大切に」という抽象的な観念を共有することが、個性を大切にすることだとされてしまった。そして生まれたのは、無個性で個別性に閉じこもる態度。全く正反対の事態。

 なんだか今は「伝統を大切に」というスローガンが注目されているようだが、その言葉が伝統文化を破壊するものとならないよう祈る。

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