世間を騒がせ驚かせる、訳の分らない事件が後を絶たない。年が明けるたび「今年こそ平穏な良い年になってほしい」とは、誰もが思うことだろう。
しかし、こうした純粋な願いの裏には、自分を省みない「他力本願」的な意識が働いている場合がある。
一方、眉をひそめるような事件が起きた時、その原因を究明してああだこうだと説明するだけに終わる人もいる。こちらは「評論家」的と表現すればよいだろうか。
暗い世相ながら、少しでもこの世の中を良くするために、今の時代を生きている自分に何ができるだろう。仏さまの智恵と慈悲に基づき、そして行動へと移す人がいたら、そういう人こそ「菩薩」的な人ということになる。
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