「お前はいったい何を拝んでいるんだ!三人の仏さんが来てるじゃないか」
昨年の九月二十一日未明に見た夢の、大師匠様のお言葉だった。三人の仏さまとは何のことなのか?ハッとした。我が家の三人の息子のことだと気づいたのだ。
大師匠様は大変厳しいお方だったが、私にとっては、お会いするとお小遣いを下さる優しいお爺ちゃんでもあった。
身延山での学寮時代に上級生となった時、若い情熱と思い上がりから、下級生に対して行き過ぎた指導をしてしまい、多くの人達に迷惑をかけたことがある。それで無期停学と退寮を命じられ、お山の西谷にある宿坊に卒業までお世話になっていた。
そのころ大師匠様は身延山の総務をされていたのだが、お参りに来たとおっしゃって私を訪ねられ、「若い頃はねぇ、血の気が多くてね……」とご自分の若い頃のお話をして下さった。思い返すに、本当に有り難いことだった。
その夢を見た日の朝、七時頃に実家の母より訃報が入った。
「法主様が亡くなられたよ」
予期していたことだが、夢のこともあって大変驚いた。入院されてからお見舞いに参らなかった私に、最期のお言葉を下さったのだろう。子を持つ親は、仏の子をお預かりしている心持ちであれと。
兎角(とかく)このことを忘れてしまい、親の都合で善し悪しをいい、いうことを聞く子だけを良い子と錯覚し、手が負えなくなるとつい嘆いてしまう。それでは、子育ての中にも仏さまの導きがあり、自分も親として育てられていることに気づかないだろう。
人を大切にする人となって欲しい。息子たちと向き合い、毎日お題目をお唱えしながら願っている。
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