毎日のニュースは、家族同士の殺し合いや無抵抗な子供への虐待、世界中でも戦争やテロといった人殺しの話題ばかり。
人はそれぞれ自分の人権を主張するが、その人権が他者によって侵害されたり無視されたりすると、たちまち争いの炎が立ち上る。では、どうすれば争いの無い家庭、平和な社会を実現できるのだろうか?
法華経に登場する常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、道で出会う人に対し「私は深くあなたを敬い、決して軽んじたりしません。なぜなら、あなたはすでに人々を教え導かれる仏さまでいらっしゃるからです」と言って礼拝し続けた。その人の仏性というより、他人を「仏の身」そのものと見ていたのである。
この修行を続けるには、人を思いやる程度ではなく、人を尊重するという深い心の段階でないと難しい。でなければ、いつかは心の許容範囲が飽和状態となり、「モーキレタ〜ッ!」と諍(いさか)いになってしまうだろう。
何事も心がけや訓練、そして忍耐があってこそ成しとげることができる。ただし、一人一人が仏としてのはたらきを発揮できる「この世にただ一人」の存在であり、それを信じることが出発点でなければならない。
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