lotus column こころのウンチ by Takochan
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 ある心理学者が、愚痴(ぐち)のことを表題のように譬(たと)えていた。これを仮に認めた場合、愚痴とは汚物でもあるが、反面生きていくために無くてはならない、必要悪のようなこころの一面なのかもしれない。

 そう考えると、愚痴には快便もあれば下痢もあり、それを排せない便秘もあるように、こぼし方次第によって健康の良否が決まるのではないだろうか。

 仏教では「愚癡」と書き、仏さまの教えを知らず、ことの因果や道理をわきまえないことを言い、自他を害する根本煩悩である三毒の一つにも数えられる。

 しかし、愚痴を言うことで自分を見つめたり、事柄の本質を見つけて発展的に生きることができれば、それは効能と言える。すると、今まで忌み嫌っていたこの言葉も、菩提(ぼだい=悟り)というベクトルをもつ言葉に変わりはしないだろうか?

 とはいっても、愚痴を責任転嫁の材料にしたり、逆に言わずに不平不満をため込んで一気に暴発したりでは、自分にとって不健康であり、まわりにとってもはなはだ迷惑な話である。

 だからこそ一方では、健康な愚痴に導いてくれる師に巡り合う努力も見落としてはならないだろう。今また法華経を繙(ひもと)く楽しみが出てきた。

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