学生の頃、東京の神田寺で、仏教学者の紀野一義氏の講演を拝聴したことがある。
同氏は山口県の寺の息子として生まれたが、旧制広島高校へ進学し、第二次世界大戦中、学徒動員で戦地へ赴いた。そして中国軍の捕虜となったが、終戦により九死に一生を得て日本へ帰国した。
しかし、住まいのあった広島は原爆による焼け野原で、父母姉妹も亡くなっていた。不幸中の幸い、津山にいた一人の姉を頼って身を落ち着けることができたものの、心はさっぱり落ち着かない。どうしたものかと考え続け、ハタと思い当たったそうだ。
「そうだ!お母さんに『ただいま』を言ってないからだ」
広島のお寺はすべて焼けてしまっていたため、すぐさま奈良へ飛んで行き、あるお寺を訪ねた。そしてお堂の中で畳に両手をつき、額を畳にすりつけて「お母さん、ただいまーっ!」と絶叫し、涙して一日を過ごしたところ、やっと心が落ち着いたという。
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