lotus column 言葉と責任 by Shougyo
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 JR福知山線の列車脱線転覆事故から、はや八ヶ月が経った。お亡くなりになった一〇七名の菩提と共に、心身に傷を負われた方々の一日も早い全快を祈念します。

 あの大惨事は、定時運行の厳守と効率性追求の結果だと、誰もが指摘する。しかし「国鉄は民営化し、もっと効率的な経営を!」と訴え、JR発足に両手を挙げて賛成したのは私たちの方ではなかったか。かく言う筆者も、乗り合わせた電車が五分ほど遅れてうまく乗り継ぎができないだけで、余裕をもって出かけなかった自分は責めずに不満顔を見せることがあった。

 逆にこの度の事故では、効率性重視のJR西日本に対し、皆からは非難の嵐。私も被害者の遺族なら、やはり同様に厳しい言葉で彼らを責めたかもしれない。

 もちろん罪は罪として裁かれ、再発防止には最善を尽くすべきだ。ただし、非難の言葉を口にする者にとって大切なのは、安易な正義感を振りかざすことなく、正直に自分の行いを振り返ることではないだろうか。

 本当に正しいことを、心に一点の曇りもなく「正しい」と発言する。それはたぶん命がけのことなのだと、日蓮聖人の行動を見るにつけ考えさせられる。

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