水泳教室に通いだした八十五歳のお婆さんに、コーチの人が尋ねた。
「どうして水泳なんか習おうと思ったのですか?」
「三途(さんず)の川を泳いで渡ろうと思いまして」
そこへお嫁さんが来て、コーチにこう言ったとか。
「ターンは教えないで下さい」
さて、日蓮聖人は「法華経を信じる者には、この経が三途の川では舟となり、霊山浄土(りょうぜんじょうど)へ参る橋になる」とおっしゃった。
では、法華経を信じるとはどういうことか?それは久遠の命を持つ本仏(ほんぶつ)の大慈悲、つまり私たちを常に救いたいと願って導いて下さっている仏さまの実在を、ひたすらに信じて生きて行くことだ。そのような人の口からは、感謝のお題目がほとばしる。
日本人は宗教を信じるのではなく、嗜(たしな)むのだとか。嗜むとは「心をつけて見苦しくないようにすること」と辞書にあった。
例えば阪神大震災十周年の追悼式では、ニューヨークでのテロの時にならい、精霊流しの後に皆で『アメージンググレース』を合唱していた。この歌はキリスト教の賛美歌である。まさに、見苦しいどころか綺麗に納められており、そこには故人を悼(いた)む心や平和を願う心もあるだろう。
しかし、生き残っている私たちが正しい信仰によって人生を蘇生(そせい)させなければ、故人に対しても本当の鎮魂(ちんこん)には成り得ない。
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