「お前なんか嫌いだ」
そう言う人がいたら、言われた方も相手を嫌いになって当然だろう。「まあそう言わずに仲良くしようや」とは、なかなか言えないものだ。
さて、法華経を普段から読んでいる人は、それを「有り難い教えだ」と信じている場合がほとんどだと思う。
しかし、読経の前にその心構えとして読む「開経偈(かいきょうげ)」の一節には、「若(も)しは信、若しは謗(ほう)、共に仏道を成ぜん」とある。つまりは、法華経の教えを嫌い「お題目なんかで救われはしない」と謗(そし)る人さえも、共に救われる対象であると述べているのだ。
すると冒頭で述べた、自分のことを嫌う相手に対して感情的になったり見放したりする行為は、お釈迦さまのお心に反していると言えるだろう。
ともすれば信仰を持つ者も、実践において正しい教えを謗ることで、自分のみならず他人の成仏の道をも閉ざしてしまう大罪を犯してはいまいか。注意深く確認しながら日常生活を営まねばならない。
「成仏の、道を聞いても尋ねても、己のものにせねば甲斐無し」(古歌)
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