lotus column 心の蔵 by Keijun
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 仏教には薫習(くんじゅう)という言葉がある。私たちがこの世に生を受けてから今日まで、周囲から有形無形に受けてきた影響が心の中に染み込み、貯(たくわ)えられているという意味だ。そこから「心の蔵」とも表現される。

 自分は今まで何を学び、どういう行いをし、何を話してきたか。つまり自分の心の蔵に何を入れているかを自らに問う、それが薫習の教えなのだ。

 また、これは自分の心についてだけでなく、例えば一人の親の立場で考えると「今私は我が子に何を染み込ませているか」を反省することになる。さらには、他人に対し「この人は今日まで心の蔵に何を染み込ませて来られたのだろう」と拝察する。これもまた薫習の教えの内に入る。

 仏教では「戒」の大切さを説く教えもあるが、本来的な戒とは法律のように罰等を伴う制約のことではなく、自らが立て、自らが守るものだ。それは、仏さまが様々な姿をもって、私たちの心に大慈悲を染み込ませて下さっていることに気づき、自らも蔵の扉を開いて、人を薫習すべく行動を起こすということである。

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