lotus column 慈の心、悲の心 by Shuju
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 慈悲心とは思いやりの心。しかし「慈」と「悲」とは性質が違う。「慈」は父親が我が子に抱く心で「慈父」という言葉がある。「悲」とは母親のそれで「悲母」という。どう違うのか?

 例えば、真夜中に三歳の子供が高熱を出し、グッタリしてしまったとしよう。若い夫婦は大変。しかし、父親は母親に比べて冷静沈着な場合が多いとか。すぐ病院に電話し、車を用意するといった具体的行動にでる。

 一方、母親は子供を抱きしめ、泣きながらオロオロ。それでは、母親は役に立たないのかというと、決してそうではない。この時、母親は苦しむ子供の二倍三倍の悲しみを味わっている。これが「悲」の心だ。自分のこと以上に苦しんでくれる母親に抱かれているからこそ、子供は安心できるのだろう。

 「慈」は「楽を与える」行動であり、悲は「苦しみを抜いてくれる」存在。男女にはそれぞれ違いがあるからこそ、両親による子育てに大きな意味がある。

 そして、これら「抜苦与楽(ばっくよらく)」の心、すなわち慈悲心をもって広大に私たちを抱き包んで下さっている存在、それが「仏さま」なのだと経典には説かれている。

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