lotus column 年の始め by koushun
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 大晦日(おおみそか)には、除夜(じょや)の鐘を聞きながら夜を明かし、初詣に行く。生活の様々な部分が西洋化した現代にあって、古来から日本人にとって最も厳粛な時間だ。

 しかし、一年の始まりである元旦を祝うのは、何も日本だけではない。古代エジプトでは秋分、バビロニアでは春分、ギリシャでは冬至が(とうじ)一年の境とされ、クリスマスも元はといえば冬至の祭りである。

 さて、日本では本来、節分を「年越し」と言う。東洋の暦の立て方からすれば立春が正月であり、その前夜が年越しとなるからだ。年賀状に「賀春」「初春」などと書くのは、その名残(なごり)だろう。しかし現代の暦では、西洋の冬至正月の系統が採用され、寒気厳しい時に正月を迎えることになった。

 日蓮聖人は「冬は必ず春となる」と言われた。凡夫でも法華経を信じ受け入れるならば、必ず仏になるという喩(たと)えだ。それに、冬は「増ゆ」に通じる。厳しい世間の荒波こそが、互いの心を育(はぐく)み、成仏という大輪の花を咲かせることができる。

 人は年頭に様々な誓いをする。今年こそ禁煙だ、ダイエットだ、生き方を変えるんだ……と。しかし、再びむなしい年の暮れを迎えてしまうのは、私だけではあるまい。「うかうか一日、うかうか一年」と書いた色紙を見たことがある。結局「うかうか一生」とならないために、いつであろうと「一年の計は今この時だ」と肝に銘じるべきだろう。

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