lotus column 鈍感な人々 by Shougyo
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Aさん「仏さまの教えを、一言で言うとどうなりますか?」

Bさん「善いことをして、悪いことをしない。心を浄(きよ)らかに保つ。ということでしょうね」

Aさん「三歳の子供でも知っているようなことですね」

Bさん「百歳まで生きても、なかなか実行できませんよ」

 この会話が、仏教の奥深さを端的に表しているように思える。

 例えば「自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない」とか「自分がしてもらって嬉しいことは、人にもしてあげよう」といった類の教訓を、親や小学校の先生から聞いたという人は多いだろう。しかしながら現実には、毒物カレー事件・小学生連続殺人事件・オレオレ詐欺等、様々な犯罪がマスコミで大きく報道されるたび、必ずといってよいほど模倣犯が現れる。

 自分がもし被害者になったらどう思うか?自分の親や姉弟・子供が、被害者または加害者だったら?こんな当たり前すぎることが頭に浮かべば、決して模倣犯などにはなれないはずだ。

 心の問題を疎(おろそか)かにすることの恐ろしさに、皆が鈍感になってしまったのかもしれない。他人をはじめ、ごく日常的なことに対しても自身の内面を照らし合わせるという作業が、いかに人間と社会の形成にとって大切なことか。そのことを丁寧に伝えていくことが、本当の意味での「教育」だと思う。

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