先日、友人から面白い話を聞いた。
東京の靴の大手メーカーが海外への市場拡大を計画し、二人の社員に発展途上国へ調査に行かせたところ、二人からの報告がまったく違っていたそうだ。一人は「あの国の人たちはほとんど素足で生活しているため、靴は必要ない」と言い、もう一人は「素足だからきっと売れるでしょう」と報告したとのこと。
その結果、社長がどう判断したかは知らないが、同じものを見ていながら、まったく違う見方をしているところが面白い。
そういえば、お釈迦さまのお話にも「一水四見(いっすいしけん)」というのがあった。人は水と見るが、魚は住処(じゅうしょ)と見、火は敵(かたき)と見、餓鬼(がき)は炎と見る。
また法華経には「皆がこの世を、大火に焼かれるような不幸な社会と見ている時も、仏の目から見れば、安穏(あんのん)にして天人が充満している社会に見える」と説かれている。
自分の心が貧しい時には、何もかも面白くない。逆に希望に燃えている時だと、社会は光に満ちている。苦しい時ほど希望を失ってはならない。でなければ、その苦しさが狭い見方によるものであったり、自らが成長を遂げる上での節目だとに気づくチャンスを失ってしまう。
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