lotus column 尊ぶための勇気 by Seike
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 平成十六年三月十日、全国民を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人が、関東医療少年院を仮退院した。

 当時は中学三年生だったとはいえ、犯罪行為の責任が彼自身にあるのは当然だとしても、なぜこうした凶悪事件が発生したのか……。本人の問題に加え、家庭・学校・社会にどのような問題があり、どうして事件を防ぐことができなかったのかを、私たちに鋭く問いかけているようにも思える。

 今日、確かに犯罪を防ぐ社会的規制力が、次第に弱くなっているのは明らかである。たとえば若者の間では、興味本位での覚醒剤・シンナーの乱用、援助交際という名の売春等々、罪の意識の欠如による犯行が低年齢化の傾向にあるのは憂慮すべき状況だ。こうした事柄に正面から向き合うことにこそ、真の宗教の意味があるのではないだろうか。

 仏教の根本はもちろんお釈迦さまであり、成仏の方法が説かれているのがお経である。法華経の『常不軽菩薩品』には「我(われ)深く汝等(なんだち)を敬う。敢(あ)えて軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等皆菩薩の道を行じて当(まさ)に作仏することを得(う)べし」とある。

 世のすべての人々は仏になる可能性を持ち、自分自身も相手も、お互いに仏に相まみえるがごとく尊い存在なのだという認識、すなわち但行礼拝(たんぎょうらいはい=ひたすらに相手を敬い礼拝する)という修行を第一におかねばならない。お互いが相手を尊び拝み合うことで、心の内と外界との平和が築かれ、問題解決の基盤になり得るのだということを、私は強く訴えていきたい。

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