lotus column 引き継がれるべき宝 by Shougyo
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 最近買った本を開いてみるとに、こんな言葉が目にとまった。

「ともすると、あらゆる欲望を捨て去り見向きもしなくなるのが、宗教の教えのように思われているが、そんな非人間的なものを求めるのが宗教であったとしたら、二千年もの長い間、心の宝として引き継がれるわけがない。とっくの昔に、どこかの博物館の倉庫にでもほうり込まれているだろう」

 我が意を得たり、と思った。この文章の「宗教」という言葉は、そのまま「仏教」と置き換えられる。もちろん「欲望のままに生きよ」との意味でないことは、言うまでもない。

 では、同じ文中にある「心の宝」とは一体何か。少なくとも、葬儀や法事、盆や彼岸、あるいは願い事を叶えるための祈祷そのものをもって、心の宝だ思う人はあまりいないはずだ。ただし、心の宝の働きがあってこそ、これらの儀式を誠心誠意勤めようとするものだろう。

 言い古された言葉かもしれないが、お釈迦さまは生きた人間に向かって教えを説き、人生のあるべき送り方を示して下さったのだ。こうした仏教の原点に立ち返った時、この宝の中身が分かってくるのではないだろうか。

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