lotus column 善悪二面 by Chijo
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 物には善悪の二面があるといわれる。例えばここに、一本の出刃包丁を引き合いに出してみよう。

 どこの家庭の台所にも、たいてい一本はあるだろうこの包丁。鋭い刃先を使って、様々な食材を調理することができる。ところが、そんなシンプルかつ機能的な調理道具が、ひとたびケンカや強盗に使われたりすると、一転して拳銃同様殺人の道具に早変わりしてしまう。

 すなわち出刃包丁には、調理道具としての「善い面」と、殺人道具としての「悪い面」がある。しかし、そうした表現にも疑問は残る。

 結論から言えば、出刃包丁自体に善い面も悪い面も最初から有りはしない。有るのは「鋭く研がれた金属製のヘラに、木製の柄(え)がついた物体」であるという事実だけ。もちろん、それが作られた本来の目的・用途はあるにせよ、ここに人間による何らかの作用が働くことで、初めて「善い結果」や「悪い結果」が導き出されるには違いない。

 これに似た作用は、道具を介在しなくとも人間の心の中だけですでに起こり得る。例えば、雨が降っているという状況に対し「涼しくなっていい」と思う人もあれば「うっとおしい」と思う人もいる。また他人からの忠告を「有り難い」と思うか「うるさい」と思うか。雨自体、または忠告自体を一概に善悪で区別できないのは周知のことだろう。

 物ごとを大局的にとらえ、自身の心を正しく制御(せいぎょ)することができれば、おのずと善い作用が生じ、自分だけでなく他人に対してもそれが働く。仏教とはそのための智恵であり、日常のための日常の修行なのだ。

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