lotus column どう祈るのか? by Shougyo
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 九州各地における豪雨災害に対し、ただただ一日も早い復興を祈念している。そして、こうした自然災害のニュースを耳にするにつけ、いつも思い起こされるのが「阪神淡路大震災」のことだ。

 あの頃は車に乗っていると、毎日のようにラジオから、色々な企業による「被災された方々には心からお見舞い申し上げ、一日も早い復興をお祈り申し上げております」といった広告が流されていた。しかし、そうした企業の方々は、はたして祈りを捧げるべき対象があって、あの広告を流していたのだろうか。もし祈るべき対象がなかったとしたら、それは祈りになるのだろうか……。

 不幸にして災害で家族や友人を失った人たち、住むべき家や町を失った人たち。 自身の力ではどうすることもできない状況に立たされた時、人は何かしら超越的な存在に救いを求め、自身の想いを託そうとするだろう。それは「誰か助けて!」というとっさの叫びに終わるかもしれないし、もう少し具体的に神仏を思い浮かべるかもしれない。

 だが、本当に祈るべき確固たる仏さまのことを知り「どう祈るのか」を知る人は、悲しみに打ちひしがれる中にも、必ず救いがあると思う。それは、死者も含め他者の安心(あんじん)を祈る場合でも、知っておかねばならないことだ。

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