lotus column 生活ということ by Teiko
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「無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭(あ)いたてまつること難(かた)し。我今見聞(われいまけんもん)し受持(じゅじ)する事を得たり。願わくは如来の第一義(だいいちぎ)を解(げ)せん」

 これは、法華経を読む前に唱える「開経偈(かいきょうげ)」の冒頭部分。自分が今この教えに出会って修行させていただけるのは、 果てしない時間の中のとらえがたい一瞬をとらえるような貴重な機会であり、その遭い難き今、ただただ法華経を通して、仏さまの本意を理解することに全力を傾けようという表白(ひょうはく)だ。

 思えば人生は時の連続である。今を境(さかい)に過去は常に生産され、一瞬先はすべて闇の中。だからこそ、過去にこだわり愚痴を言うことで、今の行為を殺している場合ではない。過去を今の一瞬一瞬に活かすことで、未来の闇を照らしていく、そんな智恵を学ぶ必要があるのだ。

 人は得だとか損だとか思い計りながら、知らず知らずの間に悪業(あくごう)を重ねていることがある。身の回りの出来事・環境・出会い……。すべてを仏法に照らして社会における自らの役割を自覚し、こだわりを純化させて生きることが「受持」ではないだろうか。

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