lotus column 自他幸甚 by Gigaku
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 町内にあるお地蔵さんのお賽銭(さいせん)が年々増えている。神社仏閣への初詣や、商売繁盛のお祭り「戎さん(=えべっさん)」も大にぎわい。平成の大不況と言われているが、それだけに「神だのみ」をする人が多くなっているようだ。

 そういえば数年前の歳末、ある電車の吊り広告に「果報(かほう)は寝て待たず、好況来いと初詣で」とあった。果報は人の力でどうすることもできないから、あせらず時機がくるのを待てというのが、本来の諺(ことわざ)の意味だ。しかし、これをもじって初詣の客寄せを広告しているところが商魂たくましい。不況だ不況だとは言いながらも、やはり日本は平和な国だと感じる。

 日蓮聖人の佐渡ご配流が赦免となり、身延山にお入りになられた翌年の正月、ご信者に出されたお手紙の書き出しには「新春之御慶賀自他幸甚々々」と述べられている。今までは苦難の連続であっただけに、身延山でお迎えになったお正月は、どれほど穏やかであっただろう。

 しかし特筆すべきは、私たちの目から見れば苦難としか思えない佐渡配流中にあっても、またそれ以前の法難においても、日蓮聖人は常に「法華経の行者としての資格が証明されていく」という喜びと共におられた点である。

 自身や家族の幸せだけをお賽銭に託して祈るのは、決して仏教ではない。自他共に仏さまの救いの世界の中に生かされていることを知り、皆が自分の人生をかけて本当に成すべき役割を知ること。そしてその役割のまま行動できることこそ、甚(はなは)だ幸せなことなのだ。

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