lotus column 無上のよろこび by Chishin
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 先日、大阪のあるお寺の本堂が改築され、めでたく落慶(らっけい)法要が営まれた。この時を迎えることができたのも、多くの檀信徒の方々が、それぞれの生活に応じて寄進されたおかげである。

 そしてこの日集まった方々は、みな口々に「おめでとうございます」「立派になりましたね」「自分のことのように嬉しいです」「一生の内でこんな目でたい日に出会えるなんて幸せです」等々、文字通り多くの方々と慶(よろこ)びを分かち合っていた。誰の顔も当日の晴れ上がった天気のように明るい。

 私たちにも、一生の内に色々な喜びが訪れる。これらの喜びを区別しようとしてもキリがないが、あえて大別すれば、何かを得る喜びと、与える喜びがあるのではないだろうか。

 欲しいモノが手に入った、勝負に勝った、自分の意見が認められた、美しいモノを見た、病気が治った、救われた……。これらはみな「得る喜び」だ。

 プレゼントやちょっとした親切に喜んでくれたり、忠告を受け入れてくれたり。そして、たとえ相手に気づかれなくても、自分のしたことで相手が喜んでくれていたり……。自分の存在が誰かの喜びとなり、社会のほんの一隅(いちぐう)でも照らすことができる。これら見返りというものを期待しない「与える喜び」は、相手のみならず自らの大きな喜びともなる。

 どんな時も仏さまだけは分かって下さって、共に喜んで下さっている。日蓮聖人が、法華経を広める使命を仏さまから賜ったと自覚された喜びも、まさしく無上の喜びであっただろう。

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