lotus column 蘇生の義 by Shougyo
what's new

「門松や冥土の旅の一里塚、目出度(た)くもあり目出度くもなし」

 かの有名な一休禅師が詠まれた歌だ。

 忘れもしない今から十年前の12月初旬、インドの仏跡(ぶっせき)を巡拝(じゅんぱい)の折、前後左右すべての方向に地平線が広がる場所に立ったその瞬間、私は「お釈迦さまは確かに無限の時間と永遠の命をお悟りになったんだ」と、確信に満ちた感慨を得ることができた。

 人生はせいぜい八十年か、長くて百年……。誰もが、限られた時間と限られた命の中で日々を過ごしていると思っているだろう。

「どうか皆さん、無限の時間と永遠の命に気づいて下さい。それこそが私の願いです」

 インドで聞いた風の音は、そんなお釈迦さまのささやきに聞こえた。

 法華経というお経の中心テーマは、仏さまの永遠の命であり、そこに包み込まれた私たち凡夫の永遠の命だ。はたして私たちは、このことを理解することができるのだろうか?

 お釈迦さまは「知識としては理解できない。『信』をもってこれを理解しなさい」とおっしゃっている。『南無妙法蓮華経』とは、信仰の中に永遠の命を求めていく祈りの言葉なのだ。そんなことを考えていると、日蓮聖人の「妙とは蘇生(そせい)の義なり。蘇生と申すはよみがへるぎ(義)なり」というお言葉が、しみじみと有り難く感じる。

what's newdiscourseseasontalesideadownloadlinkmyoabout "myo"site mapNOEC

HOME

Since 1999, Nichiren-shu Osaka Enlightenment Center. All teachings are opening up.