今から約3,000年前の話。
6年間の修行を続けられた元シャカ族の王子・シッダルタは、その苦行が無益なことを知って山を下りると、尼蓮禅河(にれんぜんが)に入り身を清められた。体力の消耗が激しく、岸に上がるのも苦労するほどだったが、そこを通りかかった村の娘・スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養を受けて体力を取り戻される。そして河のほとりにあった菩提樹(ぼだいじゅ)の下に座り「正覚(しょうがく)を成(じょう)ぜずんばこの座を立たじ」と誓って、禅定(ぜんじょう)に入られた。
すると欲界第六天に住む魔王が、シッダルタの成道(じょうどう=悟りを開くこと)をアノ手コノ手で阻止しようとする。ある時は武器を持って威嚇(いかく)し、またある時は美しい女性の姿をもって誘惑した。しかし彼は決して動じることなく、ついに魔王は退散した。
心身の統一と安息を得て、いよいよ悟りを開く環境が整った。そして12月8日の明け方、明星の輝きとともに忽然(こつぜん)として悟りは開かれる。ここにシッダルタは、一人の悩める太子から「覚者(かくしゃ)」すなわち「仏陀(ぶつだ)」となられたのだ。
お釈迦さまは、世のすべてのものの真実を見極められた。その真実とは「縁起」「因縁」の道理である。
「それ縁起を見る者は法を見、法を見る者は仏を見る」
しかし、お釈迦さまが悟りを開かれたのが本当はいつだったのか、後に『法華経』において明らかにされることになる……。
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