lotus column 善を行うには? by Zuiho
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 むかしむかし中国に、松の木の上に巣を作って住んでいるお坊さんがいて、そこを通りかかった知事とこんなやり取りがあったそうだ。

「そんな高いところにいると危ないですよ」
「あなたの方が危ない。世間には敵も多く、いつ失脚させられるか分からないだろう」
「では、どうすれば安全なのでしょう?」
「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)。悪いことをせず善いことをする。それが仏の教えだ」
「なんだ、そんなことなら三歳の子供でも知ってますよ」
「知ってはいても、実行するのは八十歳の老人でさえ難しい」

 たしかに仏さまの教えには、子供にでも分かる簡単なこともあるのに、実行するとなるとどれも難しいものだ。私にも、人のためを思ってした親切がかえって迷惑と受け取られ、自分が腹を立ててしまうこともある。そんな時、何が善で何が悪なのか分からなくなってしまう。

 しかし、よくよく考えてみると「自分の方が偉い」「いい格好がしたい」「他人に良く思われたい」「お礼を言ってもらいたい」などなど、我欲(がよく)が親切心を装(よそお)って顔を出しているのに気づく。

 けっきょく仏さまの説かれた善とは、自分が「我(が)を捨てているかどうか」に行き着くのだろう。さてさて、いつになれば悪をとどめ、善を行うことができるのやら……。

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