lotus column ゆるし合う関係 by Shougyo
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 僧侶であり、また有名な教育者でもある無着成恭(むちゃくせいきょう)師のエッセイ「宗教と教育」の中で、師が「ゆるす」ということについて論じておられた。

 広辞苑(こうじえん)によると、「ゆるす」という言葉には「許す・赦す・聴す」の三つしかないが、角川書店の漢和中辞典では「恕す」という字が取り上げられ、人間の「ゆるす」という心の働きの重要な部分であると説明されているとか。

 これを読むまで、私は「ゆるす」ことについて深く考えたこともなかった。しかし「許す・赦す・聴す」は、基本的に「ゆるす側」と「ゆるされる側」という二つの立場があって成立するものだという。そしてこれを仏教を通して考えるならば、誰かが誰かを「ゆるす」のではなく、相手の立場に立って考えてみる、これが「恕す」ということだ。

 たとえば人間は、自然を征服の対象と考えた時から、人間にとって不都合な自然環境を「ゆるせなくなる」のかもしれない。大切なのは人間のための自然ではなく「自然の中に生きる人間」という発想である。

 そして人間関係においても、仏教では「相資相依(そうしそうえ=関わり合い)」が説かれている。お互いに「恕し合う」こと、それこそが肝心なのだ。

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