lotus column 木が拝む by Shougyo
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 法隆寺の昭和大修理や薬師寺金堂の復興などに、多大な功績を残した故・西岡常一氏。宮大工棟梁(みやだいくとうりょう)として代々その腕を受け継いでいる彼の家には、次のような口伝(くでん)がある。

「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え/木は生育の方位のままに使え/峠・中腹の木は構造骨組みに、谷間の木は雑作材にせよ/堂塔の木組は寸法で組まず木のクセで組め/木のクセ組は工人(こうじん)たちの心組(こころぐみ)、クセ強きは力強し/工人たちの心組は、匠長(たくみちょう)が工人たちへの思いやり。肉親の心をもって接することなり。仏法の慈悲なり……」

 さすがに千三百年の伝統につちかわれた家の言葉だ。一つ一つの材木がお互いにその個性を十二分に発揮させつつ、組み合わさっている材木の個性もまた十二分に認めている。

 ではこの一つ一つの材木たちを、人間社会に置きかえてみるとどうだろう。人間はお互い殺し合うこともある動物だが、人として生まれたその目的とは「拝み合う」ことにあると法華経は説く。

 法隆寺の伽藍(がらん)を構成する材木は、拝み合うことで千三百年の風雪に耐えてきた。私たち人間が成すべき社会も、そうすることで仏さまの世界そのままになる。

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