ある年老いたお医者さんが、こんなことをおっしゃっていた。
「これから先、病院を開業しようと思えば莫大なお金がかかります。なぜなら検査のために高い機械を購入しなければならないからです。
私たちのように長い経験を積んだ者は、患者さんの身体を打診(体を指で軽く打ち、その音で内蔵の状態を診察)することができますが、現代の医学の考え方では、それを機械にさせようとしているのです。これには莫大なお金がかかり、元を取るためその機械を使い続けなければなりません。
これでは医療費が高くなるばかりでなく、自分の体一つで患者さんの病状を看ることのできない医者が増えますね」
医学の進歩によって、私たちのまわりに起こる悲しいできごとが減っていくことは、大変喜ばしいことかもしれない。しかし様々なことと関連づけて考えた時、私たちはこのことを手放しで喜んでいいのだろうか?
涅槃経(ねはんぎょう)というお経の中で、お釈迦さまは「智に依りて識に依らざれ」と説かれている。何千年もの経験が積み重ねられて今日ある「医学」を考える時、それら経験を見つめて先を考えるのが「智」であり、経験を否定してしまう機械を生み出すことなどは「識」の領分ではないかと考える。
人間がどういう考え方に「依って」生きていくべきか、その答えが仏教なのだ。
|