lotus column |仏教僧の本業 by Kousho
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 8月といえば、関西地方では「お盆」の月だ。しかし日本の仏教徒にとっては、それ以上に大切な問題について考えなければならない月でもある。すなわち8月6日の広島原爆投下記念日がそれだ。人類による戦争の歴史で、初めて核兵器を使用したのがこの日になる。

 毎年5月になると、8月6日の広島に向けて「国民平和大行進」が出発する。私もこの数年来、地元を通過するこの行進には、うちわ太鼓を打ち、お題目をお唱えしながら参加している。それは、この行進が仏教僧としての本来の使命であると自覚しているからだ。

 仏教僧の職務は、檀信徒の諸願成就や先祖の供養ではない。それは後からできた副業だ。本業とは、人類共通の嘆(なげ)きの声を聞き、その悩みに解決を与えることに他ならない。

 現代人の共通する悩みの種は、人類の生存をおびやかす核兵器の存在だ。古来より「精神異常者に刃物」という譬(たと)えがあるが、核兵器の存在をもって戦争抑止論を唱える各国首脳陣は、この譬えそのままではあるまいか。

 唯一の被爆国民である日本人は、まず第一にこの刃物を地上から葬り去るため、努力を捧げるべきだろう。と同時に日本の仏教僧は、精神異常に陥る人々の盲目を開き、相手の鬼心を仏心に転じる役目を担っている。

 私たち僧侶がそうした本来の使命に目覚めて大衆を導いて、初めて「人類の平和」と「個人の幸福」が実現へと向かう。またそれこそが、お釈迦さまの切なる願いでもある。仏教とは、まず第一に「世界平和」を祈るための宗教なのだ。

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