lotus column |水のように by Gigaku
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 今から16年も前のことだが、昭和60年(1985)5月、焼失より110年にしてようやく身延山大本堂が竣工した。その間の歴代関係者は、今か今かと本堂の復興を願ってきただろう。

 一人の人間が誕生するまでに、母の胎内にいること9ヶ月。その間に一つの生殖細胞が五体を完成する。まことに「不思議」なことだ。そうして生まれた肉体が活動を停止するまで70年、いや80年、いや……。

 法華経には「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」の譬(たと)え話がある。長者の子は幼いころに父と家を棄て、他国にて長い年月を過ごしていたが、貧しさのあまり衣食を求めて生まれ故郷までたどり着き、偶然にも長者である父の家の門に立った。それでも父や家のことを思い出すことはなかったが、心を入れ替えそこで働き、父のことを思いだして家業と財宝を引き継ぐまでには、50年の歳月を経ている。

 日蓮聖人のお言葉に「水のごとく信心する」とある。水とは火に対する言葉で、一時的に燃え上がるのではなく、いつも退せず変わらない信心ということ。水は自ら流れて他を働かせ、いつも進路を求めて止まない。障害によって道がせばめられても、かえってその勢力を増す。

 仏の道を求めるには、水の精神が必要だ。時代や国という「器の形」には従っていても、その本質は決して変わらないように……。よどみない水の流れが魚たちの生命にとって必要不可欠なように、人が数十年という生命をいかにまっとうするかは「水の信心」にかかっている。

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