lotus column |フナのいのち by Taijo
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 15年程前、ある小学校の校長先生が著した『母のいのち子のいのち』という本を読んだことがある。今となっては手に入らない本かもしれないが、その中に「フナの解剖」という一章があったのを覚えている。

 理科の時間に、フナを解剖することになった。担任の先生は普段から子供たちに、鉛筆や消しゴムにも「いのち」があることを教えていたので、子供たちがフナにメスを入れることを思うと、その日はすっかり気が滅入っていたそうだ。ところが実際に解剖が始まると、どの班からも「フナさん、ごめんよ」というつぶやきが聞こえてきた。

 解剖が終わってから子供たちは作文を書いたのだが、いずれも素晴らしい文章だったという。ある一人の生徒の作文には、こう書き記されていた。

「人間の中には自殺したりする人がいますが、フナはどこまでも生きようとしていました。その命をぼくたちはうばってしまったのです。フナの代わりにも、ぼくが生きていることをねうちのあるものにしなければと思いました」

 断崖絶壁の上に立っている人に、聞かせたいような話である。まさにこの生徒が作文に書いた内容こそ、お釈迦さまの説かれた仏教に他ならない。

 世間一般では、仏教というとお葬式や法事といった「死」に関連したイメージが強いだろうが、本来は決してそうではない。むしろ「生きる」ということを積極的に説き示している。私たち凡人も、この生徒たちのような宗教心を身に付けたいものだ。

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