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 だが、我々は一体これで何を得たのか。子供のケンカは減ったがイジメは増えた。主として経済的理由による間引きはなくなったが、子殺しや虐待は逆に増えた。

 子供のケンカと言えば、よく言われることに「近頃の子供はケンカをした経験が無い」或いは「ケンカが少ないために限度というものを知らず、最悪の場合は殺人にまで至ってしまう」というのがある。私もそうだと思うが、心の面でも同様の事が言えるのではないだろうか。自らの心の痛みを知らずに、他人の心の痛みはわかりにくいだろうし、他人との衝突なしに、自らの欲望充足に限度があることもわからないだろう。そしてついに妥協点をさぐるすべも知らずに、大人になってしまうのかも知れぬ。とすると、一方的にいさかいを避けるだけが能ではない、と言うことになる。(この辺りにも仏のお計らいがあるように思える)

 宮崎勤については、大人の女性とつきあうことができなかったと聞く。現実に男女のつきあいは「恋のかけひき」という言葉が昔からあるように、互いに妥協点をさぐりながらすすめるという側面がある。このわずらわしさを避け、一方的に自分の意志を通そうとすれば、相手に弱い者を選ばざるを得ない。当たり前だ。しかもこれは宮崎勤一人の問題ではない。大方の人も気づいているはずで、現に幼女に対する猥褻(わいせつ)行為は増え続けている。宮崎の事件で皆が騒いでいる間にも、何人か逮捕されている。又、アメリカにおける幼児誘拐・虐待は、惨たる情況であるとも聞く。きっといつか、日本も似た状態になると思われる。

 では、我々はこうした世の流れに対して全く無力なのだろうか。そんなことはないと思う。現にホラーヴィデオを市場から締め出せと言う意見もある。こうした反省は、何かが起こるたびに出て来るのだが、何とかの自由と言う美名の下に「金さえ儲かれば何をしても良い」という風潮を少しでも止める働きをするなら大いに結構なのだが、残念なことに、大部分は対症療法的にしかものを言わないので成果を挙げ得ないでいる。もう一つ、この種の意見は「自分は立派な人格者である」という立場でものを言い、相手を攻撃するだけに終始し、妥協点を見出す姿勢に欠けている。「下らぬものに金を出さない」という人間を増やすために何をすべきか、という視点を持つべきだと思う。

 それより、人間が複雑で矛盾に満ちた存在だということを、もっと認識すべきなのだ。お釈迦様のいわれる十界互具には、こういう意味もある。アメリカではこんな素晴らしい生活を送っている、フランスではどうだ、と言い立てた連中が、全体を見ずして結局は自分の見たい事物しか見ず、自分の理屈に合う事物のことしか言わなかったことを思い出すべきなのだ。彼等が核家族における世代間の確執の無さを賛美していた頃、オールビーは「動物園物語」で、コミュニケイションの断絶が人格の破綻をもたらすことを描いて警鐘を鳴らしていたし、ヘヴィメタの元祖の一人、レッド・ツェッペリンは「コミュニケイション・ブレイクダウン」という曲を作った。彼らの言い分に耳を傾けていれば、宮崎勤も現われなかったかもしれないのだ。

 いずれにしろ、単純な論理を通そうとする者に対しては、少し眉に唾をつけて聞くことにしようではないか。

H1.9/25初出〉

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