「暑いなぁ。早くエアコンのきいた部屋で涼みたいよ」
「のどがかわいたから、ジュースでも飲もうよ。ねぇ、お金かして」
ジュースがガタンと自動販売機から出てくる。
「半分ずつ飲もう」
「ああ、うまい!」
「せっかくの夏休みだし、海にでも連れていって〜」
「そうだなぁ……。じゃぁ沖縄なんてどう?こんど航空券とっておくよ」
「えつ、ホント?ラッキー!今度新しい水着買うのつき合って〜」
三千年前、仏さまの説かれた極楽の有り様はどうだったか?
国土は平らかで、高い所や低い所がなく、黄金の縄で道の境が区切られ、その光は昼のように明るく、なにか食べたくなったら、七宝の鉢(はち)の中は、おいしい様々な種類の食べ物で満たされる。また衣服・音楽・香り・気候・花、そして遠くへの行き来も思いのままの世界……。
まさしく現代の日本では、極楽の有り様がすでに実現されているかのようだ。道はアスファルトで平らか、エアコンの快適さや街灯の明るさ、すぐに手に入る豊富な飲み物や食べ物。飛行機・新幹線・自動車を使えば思いのままに旅行ができ、本やテレビ・ラジオ・インターネットは、私たちの過去から未来にいたるまで、様々なことを教えてくれる。
でも、一つだけ違うところがある。極楽では行き交う人々がみな和やかで、仏さまの心と行動を保っているという点だ。イライラ・ブツブツ・ガミガミと不平不満をもって暮らしている人には、たとえこの世が極楽であっても、地獄や餓鬼・畜生といった苦しみの世界としか映らない。たとえ、死んであの世へ行ったとしても……。
|